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ドン行”山陰”1984 其の壱 [鉄模]

昭和59年8月に青春18切符で乗った鈍行「山陰」出雲市行。
車内放送では「普通列車山陰号出雲市行きです」と表現していたのをいまだによく覚えています。
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乗車した具体的な日にちは忘れました。
始発の京都から終着の出雲市までフル乗車しました。
京都発車直後は帰宅サラリーマンで混雑していましたが次第に立っている人もいなくなり綺麗に座席が埋まる程度の乗車率となりました。
現在の鉄道と違って冷房が激しく効いていました。
暑がりの私でも寒かったのでたまに窓を開けて夏の夜の暑い風を取り入れて暖をとりました。

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乗る直前まで興味なかったのでこの時は全く知りませんでしたがこの年の初頭に旧客から12系になったようです。

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当時国電少年だった私にはオハネフ12などという客車は全く予備知識がなくシル・ヘッダーの典型的な旧型客車でもないし、かといって(当時の感覚で)比較的今風な割には激しく古ぼけた全くの未知な客車で不気味にすら感じました。
この乗車がきっかけで知るようになりもっと写真を撮っておけばよかったと激しく後悔するのでした。

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この当時はそんなに興味無かったのでほんの数コマしか撮影していないのが残念。
番号なんか控えるなんてとんでもない。
オハネフ12の洗面部の白ガラス、妻面のリブ、ボディ側面の歪みなどでこのオハネフ12の番号が特定できないだろうか?

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というわけで走らせる目的ではない思い出の車両コレクションとしてオハネフ12、オハフ13、オハ12は持っています。

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走らせるのが目的ではなかったけど白色室内灯が発売された時に付けておいたのです。
そして今回オユ10やオユ12を室内灯改造してから室内灯マイブームが到来してしまいました。
その時にKATOの新しい室内灯クリアを購入したらとても綺麗に光りましたのでこれこそ12系にぴったりかと思い付け替えです。
光り方がオーバーなくらいかもしれませんが模型としてはアクセントとなっていいと思います。
スハフ12、オハフ13、オハ12に付いていた従来の白色室内灯はそんなに輝度が必要無い郵便・荷物車に転用しました。

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左がスハフ12に付けた新室内灯クリア、右が従来の白色室内灯。
画像ではうまく再現できませんが肉眼で見ると明らかに輝度が違います。
オハネフ12に付けたら光りすぎてちょっと違うなぁ、という印象なので止めました。

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オハネフ12だけ旧製品の白色室内灯に戻しました。
寝台なので若干暗いほうがいいです。
編成を組んだときに座席車との明暗の差がかえってリアルかと。

乗車した12系座席車は減光したという記憶がありませんからこれでいいと思います。

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しかし今回はただ付けるだけでなく、色々なサイトを参考にさせていただき、出来るだけ均等に光るようにアルミテープなどで遮光などする小改良しました。
驚くほど効果が現れました。

模型としてはいいけどこれでも寝台車にしては明るすぎるかな。

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ここまでやると編成を組んで走らせたくなりました。
私が乗った1984年8月某日の編成は番号こそ控えていませんが形式は覚えています。
*オハネフ12-*スハフ12-オハフ13*-オハ12-オハ12-オハフ13*-スハフ12*、と12系座席車がかなり変則的な編成だったからです。
*印は車掌室です。
確か岡山や広島所属の寄せ集めだったと記憶しています。

12系は旧型客車ほど味はありませんがそれでもこういった変則編成であることで、しかも実際自分が乗ったということで平凡な12系編成よりは楽しめるかなと。





この曲を聴くとドン行山陰を思い出します。
ドン行山陰といえばCulture Clubが頭に流れます。
斜め向かいのボックスに陣取っていたお兄さん方がラジカセのオートリバースでCulture Clubを繰り返し繰り返し掛けていました。
Culture Clubは好きだったので苦では無かったです。

あの時山陰の車内で繰り返し聞いたCulture Clubの曲がアルバムだったのかベスト版だったのか思い出せません。
あの時以後Culture Clubのベスト版など数枚聞いて”山陰後”に新たに気に入った曲などもあり、しかも今では全部が懐かしい曲になってしまって記憶がごっちゃになっています。

その中でもこの Do You Really Want To Hurt Me だけは「あの時聞いた曲」として山陰号の車内の情景と合わせてはっきりと憶えています。

Culture Clubは今でも車のHDDに入っています。

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